内省による気付きの記録
1. 「思考停止」がもたらす静かな恐怖
わたしは、思考が止まっている時間がとても怖いです。
その恐怖は、誰かに怒られるとか、何かに失敗するとか、そういう外側からのものではありません。
ただ、脳が静かになる瞬間に訪れる、説明のつかない空白――。
これは、内向的で高出力な脳を持つわたしにとって、“負の思考”が入り込んでくる隙でもあります。
2. 幼少期に芽生えた“死の認知”という原体験
わたしは子どもの頃、ふと「人はいつか死ぬんだ」と理解して、強烈な恐怖を感じました。
思考も止まり、時間も止まり、ただ、目の前の世界が一瞬で冷たくなったように思えました。
この体験は、いま思えば「思考で埋めなければならない空白」の原点でした。
それ以来、意味のない時間が怖くなり、常に思考を稼働させている状態が当たり前になったのです。
3. 未来を考えすぎると、現在が崩れる
わたしにとって「未来を考えること」は思考の延長線です。
けれど、その未来と今の自分とのギャップに気づくと、うつ状態に近い感覚になります。
思考はわたしを救うものでもあり、同時にわたしを壊すものでもある。
だから、未来は”設計”はしても、“期待”はしないようにしています。
4. 正しい方向をあえて見ないという選択
わたしの思考は、まるで方位磁石のように目的地を指し続けます。
でも、それを真っすぐ見てしまうと、あまりに遠くて、かえって心が折れてしまう。
だから、少しだけずらした向きで歩きます。
時々だけ、正確な方角を確認する。
その繰り返しで、進み続ける。
それが、わたしにとっての「思考によるサバイバル」なのかもしれません。
5. 出力し続けること自体が、わたしの自己防衛
思考は、わたしにとって仕事でも趣味でもありません。
それは「負の思考を遠ざけるための防衛機能」です。
止まってしまうと、空白がやってきて、かつての恐怖が入り込む。
だからこそ、出力し続ける。
文章にしても、声にしても、独り言でもいい。
“自分の存在を外側に出し続ける”という行為が、わたしを守ってくれているのです。
6. 思考が止まらない人の、静かな対抗手段
もしかしたら、これはわたしだけでなく、同じように「思考が止まらない人」にとっても、ひとつのヒントになるかもしれません。
思考は止めなくていい。
それを、ちゃんと形にして残せばいい。
それが「暴走モード」でも、「静かな対話」でもいい。
とにかく、自分にとって安全な場所を確保し続けること。
それが、わたしにとっての人生の歩き方です。
最後まで読んでいただきありがとうございます。