新しいカテゴリは、こうして生まれる

仮説と構造

この記事は、自分が既存の分類には当てはめられないことに気付き、新しいカテゴリを形成するためには?という問いから始まった思考の記録です。

1. 「分類できない自分」に名前がなかった頃

「なんの人ですか?」と聞かれて、答えに詰まったことがある。

肩書きではなく、ジャンルでもなく、何かを指すラベルそのものが見つからない。

本やSNSを探しても、似たような人は見つからない。

いくつかのカテゴリに片足ずつ突っ込んではいるけれど、どれもしっくりこない。

わたしは昔から、そういう感覚を持っていた。

「自分のことをどう説明したらいいか分からない」というより、

「説明するための言葉が、この世界にはまだ存在していない」——そんな感覚。

2. 枠組みの中で漂う、違和感という予感

既存のカテゴリに無理やり入ってみても、どこかに違和感が残る。

発達障害の人たちの中に入っても、自分はちょっと違う。

クリエイターの中にいても、どこか異物感がある。

知的な人たちと話しても、議論の進め方が違う。

それは、「自分が特別である」という優越感ではなく、

「どこにいても居場所がない」という静かな断絶の感覚だ。

そして、そういった違和感が繰り返し蓄積されていくと、

「これは“未分類”のままではいられない」と、思考が動き出す。

3. 既存カテゴリとの“非・合致”を言語化する

「どこにも属していない」と思うだけでは終われない。

自分の在り方を説明するには、

どの既存カテゴリと“どう違うのか”を明確にする必要がある。

わたしは何者なのか、ではなく、

わたしは“誰ではないのか”を言葉にしていく作業。

「これではない」と思った体験をすべて言語化し、

その“非・合致”の積み重ねの中にしか、自分の居場所は見つからない。

4. 境界線ではなく、座標軸を描き直す

多くの人は「どこに属するか」を考えるけれど、

わたしは「座標軸をどう引き直すか」を考える。

縦軸と横軸を、自分の基準で再設計する。

思考の出力密度、知覚の感度、構造化の速度——

これらはIQや性格診断では測れないが、

わたし自身にとっては「自分を定義する軸」になる。

境界線を引くのではなく、次元そのものを再構成する感覚。

5. 「仲間はいない」による確信と孤独

新しいカテゴリの形成とは、つまり「誰もいない場所に立つ」ことでもある。

だから当然、孤独になる。

共感されない。

間違っていると思われる。

誰かにカテゴライズされそうになる。

でも、そこで確信する。

——これは、まだ誰にも名前を与えられていない領域だ。

——ここにしか見えない景色がある。

たとえば未来学者のレイモンド・カーツワイルは、AIと人間の融合というテーマを“未来予測”の枠組みだけでなく“技術進化の帰結”として独自の座標軸で語り続けています。彼は予測者というより、未来というカテゴリを再構築した人です。

また、スーザン・ケインは『Quiet』という著書を通して、内向型の人間の価値を再定義し、「静かな人の強み」というカテゴリを社会に生み出した。いずれも、既存のラベルでは語れなかった人々が、自らの立脚点を言語化することで世界の見方を変えてきたのです。

6. 新しいカテゴリは、理解されるより先に、生まれてしまう

誰かに認められたから生まれるわけではない。

社会に必要とされたから作られるものでもない。

ただ、思考の結果として、感覚の延長として、

その人の内側から自然に生まれてしまう。

それが「新しいカテゴリ」の正体だ。

わたしは今、そのプロセスの中にいる。

まだ形になっていないけれど、確かにここにある何か。

名前をつけることよりも、

まずはその存在の輪郭を、思考と記録によって刻み続ける。

それが、暴走モードでわたしがやっていることなのかもしれない。

タイトルとURLをコピーしました